並行輸入の歴史

並行輸入の歴史というと大げさですが、並行輸入にまつわるトピックを以下に掲載しました。

昭和40年(1965年)頃

真正品の並行輸入は内国の商標権を侵害するとして運用されていました。ただし、実際の運用は、明白な侵害品以外は、輸入差止め申立てを受理したもののみ重点審査を行い判断していたようです。

昭和45年(1970年)

パーカー事件(大阪地裁)の判決では、一定の要件の下、「真正品の並行輸入は国内商標権者の権利侵害を構成しない」とされ、初めて「並行輸入は実質的違法性が無い」という判断がなされました。

昭和47年(1972年)

大蔵省関税局より各税関長へ「真正品の並行輸入は商標権の侵害には当たらない」ものとして取り扱うよう通達が出されました。(昭和47年8月25日付蔵関1443)。

昭和60年(1985年)

この年のプラザ合意(G5)により、急激な円高ドル安がはじまり、輸入品の増加に拍車をかけました。

1ドル235円→120円(1985年→1986年)。円は、1年で2倍の競争力を持つことになり、その後、いわゆる“バブル景気”を背景に、ブランドブームが起こりました。

平成元年(1989年)

消費税導入に伴い、物品税が廃止されました。それまで高級品として高い税金がかけられていた万年筆、ライター等の国内販売価格が下落傾向をみせ、内外価格差が縮小されてきました。それに伴い、並行輸入される商品も次第に衣服、鞄等が主流となってきました。

平成10年(1998年)

20世紀の終盤、いわゆる“メガブランド”が全盛となり、欧米ブランド品の市場規模も過
去最高になったと伝えられました。この年、人気ブランドの1つであるプラダの偽造品が市
場に多く出回る、「プラダ偽造品問題」が発生。この事件は、並行輸入市場の適正化のニー
ズを高め、この年の4月、日本流通自主管理協会が発足するきっかけともなりました。

平成12年(2000年)頃

LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)が米国でのネット販売を開始するなど、有名ブランドでは、 世界戦略として、直販ルートの強化、販売価格の標準化に拍車をかけたとも言われました。日本では、不況の中、ブランドブームが再燃し、ルイ・ヴィトンなど が大流行しました。欧米ブランドは次々と旗艦店を出店し、並行輸入ショップだけでなく、リサイクルショップでもブランド品を買い求める多くの消費者が見ら れました。

平成15年(2003年)

最高裁判決では初めて、3要件(注)を満たす並行輸入は商標権を侵害しないとする判断が出された年でした。事件の名は「フレッドペリー事件」。

(注:商標の同一性、出所の同一性、品質の同一性)